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おつかれさまです。

創部50周年記念誌編集担当・平成5年度卒の田澤健一郎です。

夏の大会は非常に悔しい結果となりましたが、秋春の結果を考えれば、
みんなとてもがんばってくれたと思います。

来年、下級生が敗戦をバネに飛躍してくれることを期待したいですね。

 

というわけで、久しぶりの記念誌の制作レポートです。

私、仕事的に高校野球の選手権や都市対抗野球が重なる6月、7月が繁忙期のため
間が空いてしまいました。

やっと落ち着いてきたので、記念誌制作もまたスパートをかけたいと思います。

 

今回、紹介するのは記念誌の「鶴岡東を支えていただいた人々」というパートの制作レポート。

50年の歴史の中で、野球部は多くの方の協力や好意、支えに恵まれてきました。
そんな人々を紹介しよう、という企画になります。

 

その取材の一環でうかがったのは山形市の仙台屋旅館。
40代以上のOBの方には懐かしい名前かもしれませんね。

主に1970年代から1990年代にかけ内陸方面での試合の際に常宿としてお世話になった旅館です。

 

旅館は現在も営業していますが、故・田中英則監督とも親交の深かったご主人の庄子勉さんは
病気療養で入院中。
代わって女将の佳子夫人が取材に対応してくれました。
ご無沙汰しています!

 

「私が結婚してこの旅館に来た昭和50年にはもう野球部の宿になっていましたね。きっかけは
主人と鶴商の多田先生が山形南高校で同級生だったこと。野球部が強くなり、県大会で泊まる
必要が出て紹介されたみたいです」

 

多田先生!懐かしい。
その縁を僕は知らなかったので「へ
」といまさらながら驚いた次第です。

1970年代といえば月山道路も山形県野球場もない時代。
当時のメイン会場だった霞城公園にある山形市野球場から徒歩圏内の仙台屋旅館は
うってつけの宿泊先だったのでしょう。

 

さらに興味深かったのは「食」の話。
田中監督は1970年代から既に試合を見すえた食事の配慮を希望していたようなのです。
その詳細は・・・記念誌にて!

 

「先日の決勝戦も、主人は病院のベッドの上でテレビを見ながら大興奮して鶴岡東の応援を
していました。負けて本当に悔しがっていましたよ」とは佳子さん。
ご主人の勉さんは今も鶴岡東に熱い声援を送ってくれているそうです。
ありがたい話ですね。

 

「鶴岡東を支えていただいた人々」の一人ひとりのパートのボリュームは少ないのですが、
そこで得た話は、記念誌の様々なところに反映したいと思います。

 

それでは次回のレポートもお楽しみに!

 

facebook 7月29日掲載】







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