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1983(昭和58年)~1988(昭和63年)夏の大会用のメッシュタイプ。
ミズノ社製、スポーツメッシュ生地採用。
それまで帽子・アンダーシャツ・ストッキング・ヘルメットに緑色を用いていたが、
高野連のユニホーム規定が変更になり、ヘルメットには白・黒・紺のみしか
使用できなくなった。
それに伴い、1983(昭和58年)ユニホームの基本色も緑から黒に変更された。
それまでのローリングス社製ではなくミズノ社で作製されたメッシュタイプが特徴的で、
当時、強豪校のほとんどがまだニット製を着用している中で、
スポーツメッシュ生地のユニホーム導入は県内でもっとも早かったといわれている。
胸の「Tsurusho」のマークは、帽子・アンダーシャツに合わせて黒地に金縁刺繍が施されており、
また従来のモデルよりも跳ね上がり度が強く、躍動感も強調されている。
ミズノ社の特徴でもあるラグラン袖には、このモデルから【鶴商学園】と隷書体で刺繍された。
ちなみに緑色から黒色にチームカラーが変更になった最初の2年間のみは、
ユニホームの胸マークが黒地に金刺繍なのに対し、帽子とヘルメットのマークは
黒地に銀色のTSマークであった。
これは、直前までの緑地に銀色の帽子・ヘルメットを使用していたものを、
ベース色のみ変更したために起きたミスオーダーだったと、のちに監督が告白している。
1985(昭和60年)より、帽子・ヘルメットのマークも黒地に金色で統一された。
このメッシュモデルは夏の大会のみの着用に限られており、春季・秋季大会では着用されておらず、
大会シーズン別でユニホームを使い分けるきっかけとなったモデルでもある。
ミズノ社製、スポーツメッシュ生地採用。
それまで帽子・アンダーシャツ・ストッキング・ヘルメットに緑色を用いていたが、
高野連のユニホーム規定が変更になり、ヘルメットには白・黒・紺のみしか
使用できなくなった。
それに伴い、1983(昭和58年)ユニホームの基本色も緑から黒に変更された。
それまでのローリングス社製ではなくミズノ社で作製されたメッシュタイプが特徴的で、
当時、強豪校のほとんどがまだニット製を着用している中で、
スポーツメッシュ生地のユニホーム導入は県内でもっとも早かったといわれている。
胸の「Tsurusho」のマークは、帽子・アンダーシャツに合わせて黒地に金縁刺繍が施されており、
また従来のモデルよりも跳ね上がり度が強く、躍動感も強調されている。
ミズノ社の特徴でもあるラグラン袖には、このモデルから【鶴商学園】と隷書体で刺繍された。
ちなみに緑色から黒色にチームカラーが変更になった最初の2年間のみは、
ユニホームの胸マークが黒地に金刺繍なのに対し、帽子とヘルメットのマークは
黒地に銀色のTSマークであった。
これは、直前までの緑地に銀色の帽子・ヘルメットを使用していたものを、
ベース色のみ変更したために起きたミスオーダーだったと、のちに監督が告白している。
1985(昭和60年)より、帽子・ヘルメットのマークも黒地に金色で統一された。
このメッシュモデルは夏の大会のみの着用に限られており、春季・秋季大会では着用されておらず、
大会シーズン別でユニホームを使い分けるきっかけとなったモデルでもある。
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