事務連絡からカルトな話題まで満載
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おはようございます。
創部50周年記念誌編集担当・平成5年度卒の田澤健一郎です。
不定期でお届けしています記念誌の制作レポート、
本日は1978年夏、鶴岡東(当時は鶴商学園)が初めて甲子園に出場した際の
3年生4名の方による座談会です。
写真左から主将だった関豊さん(*旧姓・齋籐/松山中出身)、伊藤祐司さん(朝日中出身)、
佐藤憲二さん(鶴岡一中出身)、加藤徹さん(鶴岡一中出身)。
座談会は1月に行われたOB総会前に開催しました。テーマは「初出場の原動力」。
ご存じの方も多いかもしれませんが、この年のチームは2年生中心。
周囲からは「3年計画のもとスカウトされた選手たちの2年目」と見られていた年です。
(ちなみに当時の田中英則監督自身は、選手たちの前では「3年計画」という言葉を出さなかったとのこと)
印象的だったのは「オレたちが甲子園に出るなんて誰も想像しなかったんじゃない?」と、
みなさんが口を揃えていたことでした。
1つ下には実力者の選手がわんさか。
田中監督は口にしなくても、周囲がデリカシーなく「3年計画、3年計画」と騒ぐ。
上級生としては正直、面白くなかったのでは、と思いますよね。
では実際はどうだったのか……その真実はなかなか興味深いものでした。
ちょっと匂わすと「1970年代の高校野球としてはちょっと考えにくい状況」が
チーム内に起こっていたのです。
話を聞いた私は「まるで1994年の敦賀気比のようだな」と思ったのでした。
その詳しい内容は……記念誌にて!
ではでは、次回のレポートもお楽しみにお待ちください。
【3月11日facebook OB会ページ掲載】