事務連絡からカルトな話題まで満載
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こんにちは。
創部50周年記念誌編集担当・平成5年度卒の田澤健一郎です。
不定期でお届けしています記念誌の制作レポート、本日は調べもののお話です。
今回の記事制作にあたり過去の新聞や雑誌、高野連の資料を多数あたっているのですが、
なかには思わず「へぇ」と声が出てしまう記事があったりします。
たとえば1971年、鶴岡東(当時は鶴岡商)が夏の選手権山形大会で初勝利を挙げた翌日の
新聞記事(写真)。
大会参加4年目にしての初勝利は、その応援席も話題になりました。
なぜかというと、今でいうチアリーダーがいたのです。
当時はまだチアがいる高校は珍しかったはず。
だからでしょう、チアリーダーという言葉がまだ一 般的でなかったためか、
記事では彼女たちを「鶴商女子隊」と呼んでいます。
「女子隊」ってなんだか新鮮ですね(笑)。
ちなみに鶴岡東の吹奏楽部は、創立当時の校長が野球部の応援も念頭に置いて
創部・強化したとのこと。
野球部に田中英則監督を招聘したように、吹奏楽部の指導者も関東地方から招聘したそうです。
(年輩のOBの方はご存じの方も多いかもしれません。あの杉目先生です)
記念誌の取材や調べものをしていて気づくのが、わが野球部、創部当初から
「革新的」な取り組みがちょこちょこあったこと。
その詳細は記念誌をお読みいただければと思いますが、こうした応援スタイルもまた
当時の山形球界では斬新に見えたのかもしれませんね。
まだまだ調べものは続くので、さらに埋もれた逸話も出てくるかもしれません。
そんな「トリビア」も記念誌にはできる限り反映したいと思います。
【3月29日facebook OB会ページ掲載】